日本そろばん資料館

日本そろばん資料館ホームページ別館・公式noteです。 日本そろばん資料館では国内外の珠算及び珠算教育に関する文献・資料・古そろばん等の収集及び保存、展示をしています。 日本そろばん資料館公式サイトはこちら→https://www.soroban.or.jp/museum/

日本そろばん資料館

日本そろばん資料館ホームページ別館・公式noteです。 日本そろばん資料館では国内外の珠算及び珠算教育に関する文献・資料・古そろばん等の収集及び保存、展示をしています。 日本そろばん資料館公式サイトはこちら→https://www.soroban.or.jp/museum/

マガジン

  • Staff News

    5本

    日本そろばん資料館のスタッフそれぞれが、そろばんに関連するニュースや出来事、資料館でのエピソードなど様々なトピックスを発信していきます。

  • 所蔵資料セレクション

    25本

    当館の学芸員が選んだ所蔵資料をご紹介しています。 第1弾は珍しい古そろばんとして、形の珍しいそろばん10点をセレクト。 第2弾は全国各地の産地別にそろばんをセレクトしています。

  • 動画で知ろう!そろばん

    15本

    日本そろばん資料館から発信している動画コンテンツをまとめています。

  • そろばん日本紀行

    3本

    日本各地にあるそろばんにまつわる名所や古址、遺跡や遺物を訪ねて紹介します。

  • そろばん雑記帳

    1本

    そろばんに関する雑学や豆知識、様々なエピソードを紹介するコラムです。

Staff News

日本そろばん資料館のスタッフそれぞれが、そろばんに関連するニュースや出来事、資料館でのエピソードなど様々なトピックスを発信していきます。

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「天は人の上に人を造らず」福澤諭吉の旧居を訪れました

2024年7月3日に20年ぶりに新紙幣が発行され、一万円札の肖像が福澤諭吉から渋沢栄一に変わりました。新紙幣発行から半年経過した現在もまだまだ一万円札の顔といえば福澤諭吉のほうがしっくり来るという方も多いのではないかと思われます。 2004年に、五千円札は新渡戸稲造から樋口一葉に、千円札は夏目漱石から野口英世に変更となりましたが、1984年に一万円札の顔として採用されて以来、実に40年もの間一万円札の肖像であり続けたのが福澤諭吉です。 「天は人の上に人を造らず、人の下に人

資料館にある常設展示していないそろばんのひとつをご紹介します

日頃から日本そろばん資料館の展示品を管理しているスタッフに、「見学に来られた方が目にする機会が無いものを資料館ホームページ公式noteで紹介できますか?」とリクエストしたところ、「こんなそろばんもあるんですよ」と、以下の記事をまとめてくれました。 そこで今回の「Staff News」は、資料館のメインスタッフによる秘蔵?のそろばんの紹介です。 日本そろばん資料館には展示されているそろばんや書籍以外にも数多くの資料を所蔵しております。 今回は、普段展示されていないそろばんにス

渋沢栄一の故郷を訪ねて ~血洗島編~ エピソード3 旧渋沢邸「中の家」

20年ぶりに発行された新紙幣で一万円札の顔となった渋沢栄一。 新紙幣発行によって「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一の名と功績が全国に知れ渡ることになりました。「論語と算盤」をはじめ、大河ドラマ「青天を衝け」では日本そろばん資料館学芸員の太田敏幸先生がそろばんの演技指導をされるなど、渋沢栄一とそろばんには深いつながりがあります。 新紙幣ブームにのった俄かファンが、栄一生誕の地、埼玉県深谷市を聖地巡礼しました。 (日本そろばん資料館 小沼光浩) 《第1回・第2回の記事はこ

渋沢栄一の故郷を訪ねて ~血洗島編~ エピソード2 渋沢栄一記念館

20年ぶりに発行された新紙幣で一万円札の顔となった渋沢栄一。 新紙幣発行によって「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一の名と功績が全国に知れ渡ることになりました。「論語と算盤」をはじめ、大河ドラマ「青天を衝け」では日本そろばん資料館学芸員の太田敏幸先生がそろばんの演技指導をされるなど、渋沢栄一とそろばんには深いつながりがあります。 新紙幣ブームにのった俄かファンが、栄一生誕の地、埼玉県深谷市を聖地巡礼しました。 (日本そろばん資料館 小沼光浩) 《第1回の記事はこちら》

所蔵資料セレクション

当館の学芸員が選んだ所蔵資料をご紹介しています。 第1弾は珍しい古そろばんとして、形の珍しいそろばん10点をセレクト。 第2弾は全国各地の産地別にそろばんをセレクトしています。

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そろばん珠の数の移り変わりを紹介:昭和そろばん2(最下部の珠をひもで固定して動かなくしたそろばん)

当館学芸員が選ぶ「所蔵資料セレクション」シリーズ第3弾は、そろばんの珠の数の移り変わりがテーマです。 室町時代末期に中国から日本に伝来したそろばんは「五珠2個・一珠5個」でしたが、現在では「五珠1個・一珠4個」となりました。 様々な珠の数のそろばんを紹介し、その変遷をたどります。 昭和にはいって、これまで使われていた「一珠5個」のそろばんを「一珠4個」のそろばんとして使用するために、様々な工夫がなされました。 写真のそろばんは、最下部の珠をひもで固定して動かないようにして、

そろばん珠の数の移り変わりを紹介:昭和そろばん1(児童用標準そろばん)

当館学芸員が選ぶ「所蔵資料セレクション」シリーズ第3弾は、そろばんの珠の数の移り変わりがテーマです。 室町時代末期に中国から日本に伝来したそろばんは「五珠2個・一珠5個」でしたが、現在では「五珠1個・一珠4個」となりました。 様々な珠の数のそろばんを紹介し、その変遷をたどります。 昭和13年(1938年)文部省は、小学校令施行規則の一部を改正しました。算術科では「計算は、暗算・筆算・珠算を用いる」とし、児童用の標準として「四つ珠そろばん」を指定し、4年生に使用させることにし

そろばん珠の数の移り変わりを紹介:天1地5そろばん

当館学芸員が選ぶ「所蔵資料セレクション」シリーズ第3弾は、そろばんの珠の数の移り変わりがテーマです。 室町時代末期に中国から日本に伝来したそろばんは「五珠2個・一珠5個」でしたが、現在では「五珠1個・一珠4個」となりました。 様々な珠の数のそろばんを紹介し、その変遷をたどります。 明治時代以降、そろばんの珠の数は「五珠1個・一珠5個」へと移り変わっていきます。 滋賀県大津市「走り井餅本家」の大津そろばんの歴史についての資料では、明治12年(1879年)以降、「上玉(五珠)が

そろばん珠の数の移り変わりを紹介:天2地5そろばん

当館学芸員が選ぶ「所蔵資料セレクション」シリーズ第3弾は、そろばんの珠の数の移り変わりがテーマです。 室町時代末期に中国から日本に伝来したそろばんは「五珠2個・一珠5個」でしたが、現在では「五珠1個・一珠4個」となりました。 様々な珠の数のそろばんを紹介し、その変遷をたどります。 中国から渡来したそろばんは、珠の数が五珠2個、一珠5個でした。これには、以下のような理由があると考えられています。 当時の中国では重さを量るのに「斤」「両」という単位を使っていました。16両で1斤

動画で知ろう!そろばん

日本そろばん資料館から発信している動画コンテンツをまとめています。

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【動画】谷先生のそろばん噺 インタビュー「私とそろばん」

動画シリーズ「谷先生のそろばん噺」では、日本そろばん資料館 谷 賢治 名誉学芸員による、そろばんの歴史や雑学についての楽しいおしゃべりをご覧いただきました。 一年余りお送りした定期更新は、今月でひとまず締めくくりとなります。 そこで今回は番外編として、谷先生に自らのそろばん人生を振り返っていただきました。題して、インタビュー「私とそろばん」。 そろばんとの出会いからインドネシアでのそろばん指導、安部元章先生と五一研修会の思い出などを、ロングバージョンでお送りします。 たいへん長いインタビューとなりましたので、動画はダイジェスト版として公開いたしました。そこで「インタビュー完全版」を、文章による記事として、新年にあらためてお届けいたします。

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【動画】谷先生のそろばん噺 そろばんのすごさ

日本そろばん資料館 谷 賢治 名誉学芸員による、そろばんの歴史や雑学の楽しいおしゃべりをお届けする動画シリーズです。 昨年9月のパイロット版「特別編」2本の公開のあと、12月から今月までで計13本の動画をお届けいたしました。年内をもって定期更新はひと区切りとなります。 ひとまずの締めくくりを迎えるにあたって、今回は「そろばんのすごさ」をいろいろな面から語っていただきました。あらためて「そろばんのすごさ」を知るきっかけにしてください。 なお、最終の定期更新となる次回は、番外編をスペシャルロングバージョンにてお届けする予定です。

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【動画】谷先生のそろばん噺 円周率よもやま話

日本そろばん資料館 谷 賢治 名誉学芸員による、そろばんの歴史や雑学の楽しいおしゃべりをお届けする動画シリーズです。 3.141592653589793…と果てしなく続く不思議な数「円周率」。この円周率を巡る西洋や日本の歴史的エピソードの数々をお話します。円周率を覚えやすくする語呂読みには日本語だけでなく英語もあるんですよ。 そんな円周率にまつわる様々な楽しいエピソードを動画でご紹介します。

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【動画】谷先生のそろばん噺 そろばんのクイズ

日本そろばん資料館 谷 賢治 名誉学芸員による、そろばんの歴史や雑学の楽しいおしゃべりをお届けする動画シリーズです。 今回は「そろばんのクイズ」と題して、そろばんを使って解くふたつの問題を紹介します。といっても普通の計算問題ではありません。頭を柔らかくして答えを考えてください。自分で解いたあとは、人に出題しても面白いですよ。

そろばん日本紀行

日本各地にあるそろばんにまつわる名所や古址、遺跡や遺物を訪ねて紹介します。

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和算の祖・毛利重能を祀る算学神社の「そろばん奉謝追福祭」

和算の祖として知られる毛利重能を祀る神社で行われた「そろばん奉謝追福祭」に行ってきました。 毛利重能の功績を称え、そろばんへの感謝を伝えるために、西宮市の熊野神社にある「算学神社」で長年にわたって行われている行事です。 日本にそろばん塾ができた当時を思いながら、私も一丁のそろばんを炎に投じてきました。 (日本そろばん資料館 島岡成紀) 兵庫県西宮市熊野町にある熊野神社は、若王子の宮として古くから地元の人々に親しまれています。 この熊野神社には、江戸時代の初めごろに日本で

貴重な古そろばんが展示されている京都市学校歴史博物館を訪ねました

京都は、江戸時代初期に日本で最初にそろばん塾が設立された地であると言われています。 国内でそろばんに関する資料が確認できるのは1500年代後半からですが、そこから100年以上もさかのぼる、文安子元年(1444年)の文字の書かれたそろばんが展示されているという京都市下京区の京都市学校歴史博物館を訪ねました。 (日本そろばん資料館 上野雄大) 京都市の目抜き通り、四条烏丸通から河原町方面に進み、御幸町通を南へ下ったところに「京都市学校歴史博物館」があります。 元京都市立開智

「塵劫記」の著者・吉田光由の足跡を辿って京都嵯峨を歩きました

1627年(寛永4年)に刊行された算術書「塵劫記」は、そろばんの教科書として使われ、日本独自の数学「和算」発展の礎となりました。 「塵劫記」の著者・吉田光由の足跡を辿って、京都嵯峨嵐山近郊を散策しました。 (日本そろばん資料館 島岡成紀) 観光客でにぎわうJR嵯峨嵐山駅から西へ、常寂光寺を目指します。 吉田光由は京都嵯峨の豪商・角倉家の一族で、記念碑や墓所は角倉家の縁の地にあります。 1キロ余り歩くと、常寂光寺の山門に着きます。 山門の近くに「塵劫記」の顕彰碑があり

そろばん雑記帳

そろばんに関する雑学や豆知識、様々なエピソードを紹介するコラムです。

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「あんざん」には「暗算」と「諳算」の二つの表記がありました

そろばんを習うと身に付く珠算式「あんざん」は、頭の中でそろばん珠を操作して計算します。 このように、紙に書いたり計算器具を使ったりせずに頭の中だけでおこなう計算のことを「あんざん」と言い、漢字で「暗算」と書きます。現代の日本では日常的に馴染みのある言葉ですが、明治から昭和の初め頃にかけては「諳算」という表記も混在して使われていました。 「暗算」に統一されたのは戦後からですが、それでは、いつ頃から「暗算」という表記が使われたのでしょうか。また「諳算」という表記はどのように使われ