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明治維新の立役者・西郷隆盛はそろばんが得意だった

日本そろばん資料館ホームページ「そろばんの歴史」年表に記載されている歴史的トピックスを深く掘り下げます。


1968(明治1) 
• 西郷隆盛は若い頃そろばんが得意で数理に優れていたと言われている。


上野恩賜公園に佇む西郷隆盛像

明治元年(慶応4年)は幕末明治維新の真っただ中、立役者のひとりである西郷隆盛も八面六臂の活躍をしていました。
その西郷どんは、実はそろばんが得意だったということをご存じですか? 西郷隆盛とそろばんについて、日本そろばん資料館学芸員・太田敏幸先生監修のコラムをお届けします。


1.歴史小説の中の「西郷隆盛とそろばん」

歴史小説の大家である海音寺潮五郎は、著書「西郷隆盛」の中で西郷の草した「社会趣旨書」に記された詳細な石高の計算を紹介したうえで、次のように書いています。

彼にこんなこまかな計算が出来たとは意外の感があるが、若い頃、彼は郡奉行所に働いていただけあって、そろばんは得意だったという。後に藩の代表者として討幕運動を指導するようになると、いつもそろばんを身辺から離さなかったと伝えられている。

海音寺潮五郎「西郷隆盛」第3巻「遠島の西郷」より

また、司馬遼太郎「坂の上の雲」にも同様の記述があります。

西郷は若いころ地方事務所(郡方)の会計係をつとめていて、武士にはめずらしくソロバン達者であった。西郷は同時代のどの志士よりも計数にあかるかったような形跡があるが、一度もそういう自分をみせたことがなかった。しかしながら幕末の煮えつまったころ、西郷はふところに小型ソロバンを入れていたことは、西郷の言いつけで横浜に武器を買いつけに行っていた大山巌がもっともよく知っていた。

司馬遼太郎「坂の上の雲」第7巻「退却」より

西郷隆盛がそろばんが得意であったことを示すエピソードです。

2.江戸時代の武士のそろばん事情

司馬遼太郎は上記の引用で西郷隆盛のことを「武士にはめずらしくソロバン達者」と書いていますが、なぜ武士にそろばんは「めずらし」いのでしょうか。
磯田道史著「武士の家計簿」によると、江戸時代の武士社会では「算術」のできる人材が不足しがちであったそうです。上級武士の子弟には藩校で算術を学ばせないようにしていた藩がかなりあったことも理由のひとつです。「武士は食わねど高楊枝」という言葉があるように、当時の武士階級の倫理観はお金を求めることを潔しとせず、それが金勘定につながる算盤、算術を武士が敬遠することにつながったのでしょう。

3.幼少期から身につけたそろばん

そのような当時の武士社会の事情のなかで、藩の勘定方小頭としてそろばんを扱う父を持つ西郷隆盛は、自身も16歳のころ藩の郡奉行(今でいう税務署のような役務を扱う行政所)に郡方書役助として仕えます。算術やそろばんの知識や技術は、そこで磨かれたといえるでしょう。
幼少期の西郷隆盛は、薩摩藩独特の「郷中教育」で文武を身につけました。
鹿児島市にある「維新ふるさと館」には、郷中教育の展示コーナーがあり、そこに「五つ玉算盤」として、天1地5の問屋そろばんが展示されています。
西郷隆盛も郷中教育でそろばんを学んだのでしょう。

西郷は11歳の頃に、喧嘩がもとで右腕が不自由になるほどの大怪我を負いました。その怪我のために剣術をあきらめ、学問で身を立てるべく、読み・書き・そろばんにより一層励むようになったといわれています。

日本そろばん資料館所蔵資料より

もし西郷隆盛が子供時代からそろばんを学んでいなければ、日本の歴史は変わっていたかもしれない、と考えるとそろばんを巡る歴史の不思議さが感じられますね。

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