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加賀百万石を築いた武将・前田利家はそろばんを愛用していた

日本そろばん資料館ホームページ「そろばんの歴史」年表に記載されている歴史的トピックスを深く掘り下げます。


1592(文禄1) 
• 文禄の役に従軍した前田利家が陣中でそろばんを使用した。


戦国時代、織田信長、豊臣秀吉に仕え、加賀百万石の礎を築いた武将・前田利家は、当時中国から伝来したばかりのそろばんを愛用していました。利家が使ったとされるそろばんも現存しています。
前田利家とそろばんについて、日本そろばん資料館学芸員・太田敏幸先生監修のコラムをお届けします。


金沢城公園に建つ前田利家像

1.数字に強かった前田利家

前田利家の伝記を記した書物「国祖遺言」には、利家は家康、秀忠と並ぶ算勘の上手(計数感覚に秀で経済観念が優れている)と称せられ、常に具足櫃に算盤を入れていたと記されています。
このエピソードについて、「下天は夢か」などで知られる作家・津本陽は、歴史上の武将や剣豪、英雄の逸話を集めた著書「のるかそるか」で次のように書いています。

一城の主となってのち、利家は武辺者に似つかわしくない一面を発揮しはじめる。政治家、外交家の才とともに、経理の才をも発揮するようになる。
彼は単なるバサラではなく、勤勉な官僚の素質をもそなえていた。
来信、往信の控えを一ヶ月ごとに整理して箱に納めておく。書状を記すときには、相手の気持ちを察して、書札礼、用語に細心の気遣いをする。
また彼は算勘に明るかった。兵員の給与の計算、金、銀、米穀等の算用に、器用に算盤をもちいた。
幅三寸、長さ六寸ほどの算盤を、常に具足櫃に納めていたといわれる。
(中略)
利家は槍ひとすじの軍人である一面と、経済家の一面を、つかいわけていた。

津本陽「のるかそるか」1991年・文芸春秋刊

2.現代にも伝わる前田利家の「陣中そろばん」

前田利家が使っていたとされるそろばんは現代にも残っています。
暁出版「珠算事典」によれば、このそろばんに添えられている由来書には「此算盤者 高徳公携千肥州名護屋」とあり、1592年の文禄の役のおり、前田利家が肥前国名護屋(現在の佐賀県唐津市鎮在町名護屋)の陣中に携行したことが記されています。
由来書には、その後「陣中そろばん」は、利家とおまつの方の娘・千世(春香院)から侍女の今井に与えられ加賀藩主・前田綱紀に返納されたとあります。
なお、このそろばんは、中国そろばんを模して日本で作られたものだと考えられています。

利家の愛妻・おまつの方の像(尾山神社)

3.名作漫画に描かれた前田利家とそろばん

1990年代に週刊少年ジャンプ誌上で人気を博し、今なお名作として知られる戦国漫画「花の慶次-雲のかなたに-」(原作:隆慶一郎 / 漫画:原哲夫 / 脚本:麻生未央)に、主人公・前田慶次の義理の叔父として前田利家が登場します。
この作品の前田利家は度々そろばんを手にしていますが、この描写はコミカルさを演出するためだけのものではなく、利家とそろばんを巡る上記の史実が踏まえられています。

原作:隆慶一郎 / 漫画:原哲夫 / 脚本:麻生未央「花の慶次-雲のかなたに-」より

なお、この作品で前田利家が手にしているそろばんは、読者に分かりやすいよう後世の形状(玉の数も「天1地4」や「天1地5」)となっていますが、実際に現代に伝えられている利家が使用したとされるそろばんは、玉の数は天2地5で桁数が9桁、縦約7センチ・横約13センチ・厚さ約1センチという小ぶりなものです。

母衣をまとう若き日の前田利家像(尾山神社)

そろばんが中国から日本に伝わったのが16世紀の後半と言われていますので、前田利家がそろばんを手にしたのは中国から伝わって間もなくの時期です。そろばんを手にした武将の先駆けと言えるでしょう。新しい物好きという一面があったのかもしれません。
少年時代は槍を手に、織田信長麾下の赤母衣ほろ衆として先陣を駆けていた前田利家は、そろばんを操ることにおいても、正に先陣を切っていたのです。


記事中の写真は全国珠算教育連盟石川県支部の村上支部長に撮影いただきました。